卒論〆切が近いよ

卒論に追われているというか、すでに捕まりかけているというか、もはや追い抜かされているというか……ほんとうにやばすぎてブログを書いている余裕がない。
あと近況で言うと、趣味でたまに文章をコンペとかコンテストに応募するんですけど、ありがたいことに先日とある賞をいただきました。わーい。
ブログを書く余裕はないけど、ただ受賞したものを載せるわけにはいかないので、今回は少し前にコンテストに応募して特に箸にも棒にもかからなかったエッセイを載せることでお茶を濁させていただくよ~ん。
ちなみに、コンペ用の文章は前にも一度ブログに載せたことがある。
該当記事→郵送必須のコンペ、送るのだるすぎて応募しそびれるから全部Webかメールからのオンライン送付にしてくれ~『星降る畑で』【供養】

〈某コンテスト募集要項〉
■テーマ
「自分らしく演奏する」
■趣旨
上記テーマで事実に基づく体験を反映した、「音楽に関するエッセイ」を募集致します。
皆様のあふれる思いを多くの方と共有することを目的としております。
多くの皆様のご応募をお待ちしております。
800字以上 1,400字程度まで・本文最後に文字数を記載
音の揺らぎに身をまかせて
「それ、何の楽器?」
初めて人前で演奏したとき、最初にかけられた言葉だ。無理もない。私が手にしていたのは、円筒形のボディにクランクがついた、見慣れない形の楽器――ハーディーガーディー。バイオリンのような音色を出しながらも、ギーッという擦過音が混じるその音は、どこか懐かしく、異国的だ。
私は大学でドイツ文学を専攻している。ハーディーガーディーとの出会いは、あるドイツ研究の講義で中世音楽に関する動画が紹介されたときのことだった。画面の中で奏でられるその音に、私は釘付けになった。木の温もり、手回しの機構、そして弓ではなくクランクで弦を鳴らすという仕組み――そのすべてが、私の好奇心をかき立てた。
そこから、気づけば私は楽器本体の入手方法を調べ、インターネットで取り寄せ、見よう見まねで指を動かしていた。しかし国内では情報が乏しく、教室もなければ、教材も少ない。私は海外の動画を頼りに、ひとりで練習を始めた。最初はまともな音も出せず、弦の張り具合や棹の角度を変えるたびに音が狂った。だが、不思議とやめようとは思わなかった。むしろ、手探りで学ぶその過程が、どこか心地よく感じられた。
他の誰かの「正しい演奏」を知らなかったことが、私にとっては幸いだったのかもしれない。模範がないということは、比較もないということ。私はただ、耳と指先を頼りに、自分の好きな音を探し続けた。「この擦れた音、ちょっと面白いな」「ここはあえて揺れている音のほうが印象的かも」――そんな小さな気づきを重ねながら、少しずつ音楽になっていった。
やがて、人前で演奏する機会がやってきた。最初は、同じゼミの友人たちの前。驚きと笑いが混ざった反応のあと、「なんだか不思議で落ち着く音だね」と言われ、私は少し誇らしい気持ちになった。そして次の舞台は、大学の学園祭だった。語学棟の片隅、小さな展示スペースで、私はドイツ語圏の文化紹介の一環としてハーディーガーディーを演奏した。目を留めてくれる人、耳を傾けてくれる人がいた。それだけで十分だった。
私にとって「自分らしく演奏する」とは、「上手に演奏すること」ではない。それは、耳で聴いた音や身体に宿ったリズム、そして今その瞬間に感じていることを、素直に音にすることだ。たとえば、ある日は憂鬱な気分で、音色もどこか重くなる。逆に、晴れやかな気分のときは、旋律に自然と跳ねるような動きが生まれる。その揺らぎこそが、「私らしさ」なのだと思う。
音楽には理論や形式があるけれど、そこから少し外れたところに、自分だけの音がある。ハーディーガーディーは、そんな自由さを私に教えてくれた。完璧な音でなくていい。少し揺れていても、掠れていても、そこに自分の輪郭が浮かぶなら、それでいい。たとえ誰かにとって奇妙に聞こえたとしても、それが「自分らしい」と思えるかぎり、私はこの楽器と歩いていける。自分を信じて、自分らしく演奏し続けたい。
(1218字)
反省点。ハーディーガーディーはさすがにやりにいきすぎ。


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