『うたごえはミルフィーユ』は、タイトルやビジュアルから想像するよりも、ずっとシュールで、ずっと笑えて、ずっと芯のある作品だった。
正直、『日々は過ぎれど飯うまし』みたいなゆるっとした部活ものかと思っていたので、ネガティブ主人公の穿った視点からくるキレの良いボケはうれしい誤算だった。タイトルと絵柄的にあんまりそういうアニメっぽくみえないが、作品全体に世界を斜めから見たようなネタが散りばめられている。


「アカペラ」と「声」の面白さ
アカペラを題材にしている点も純粋に面白かった。正直アカペラはハモネプ以外で聞いたことがないのだが、主人公もまったくの未経験状態からスタートしてくれる。ありがたい。ハモりとはなにか、音色(おんしょく)とはなにかみたいな基礎知識から、ただ歌が上手いだけでは成立しないアカペラの面白さが丁寧に説明される。

また、特に印象的だったのは声優さんたちの「声」の演技だ。ただでさえ難しいアカペラをキャラクターのまま歌っているのが本当にすごい。しかも上手に歌うだけでなく、物語序盤はあえて不安定な音にしたり、緊張で声が揺れたりする。

え? 声優さんってすごすぎないか??
人間って極めるとこんなことまで再現できるようになるのだろうか?
「わかる」という言葉の暴力性を、雑に処理しないこと
中盤から登場する、「声」にコンプレックスを持つクマちゃんのエピソードも強く印象に残っている。抽象化するとこの話は、「強者が弱者を理解することの難しさ」だけでなく、「弱者同士であっても、別の弱者を理解することは簡単ではない」という問題を扱っている。

作中では最終的に「他者は他者として割り切ったうえでの主観的な発言(褒め)は赦されるのではないか」みたいな結論に落ち着く。その結論自体も良いと思うのだけれど、それ以上に、「わかる」という言葉の持つ暴力性を、簡単に整理しなかった点が偉かったと思った。

ややこしいものを、ややこしいまま、きちんと時間を使って描いている。
その誠実さが、この作品への信頼感につながった。
「変わらない」という選択と、それを肯定すること
終盤で描かれる部長アイリの葛藤が、この作品をより一層忘れがたいものにしている。
周囲のみんなが変わっていく中で、彼女だけが「ずっと今が続いてほしい」と思っている。「なんで喜べないんだろう、私。あの子たちが変わっていくことを」という独白は、とても人間的な悩みで共感せずにはいられなかった。
「……難しいよ、思ってることなんてそのまま言ったことないよ」


ほかのみんなが大きく変化していく中、最終的にアイリ自身が大きく変わるということはない。
それでもアイリは他人の変化を否定することはしないし、周りのみんなもアイリに対して「変化を恐れることはない」としながらも、周囲がアイリの考え自体を否定することはない。


「みんな変わって前に進むべきだ」という単純な物語にしなかったところが、この作品をいちばん好きになった点だ。進む人も、立ち止まる人もいていい。そして、そんなバラバラな人たちが、アカペラをするときだけは声を重ねる。その関係性が、とてもきれいだと思った。

そして、この関係性が浮かび上がることで「うたごえはミルフィーユ」というタイトルが、歌声が重なり合うことと人が重なり合うことの上質なメタファーとして回収される。


重ならないまま、重なるということ
『うたごえはミルフィーユ』は、違ったままで重なることを肯定する作品だ。
無理に理解し合わなくても、同じ方向を目指して進まなくてもいい。それでも、一緒にアカペラをするときにだけは、ミルフィーユのように重なり合う。お互いの手と手が繋がるその絶妙な距離感が、心地良い関係性を生み出しているとても良い作品だった。

【リンク】
うたごえはミルフィーユ(AmazonPrimeVideo)
うたごえはミルフィーユ(Youtube)
うたごえはミルフィーユ(Twitter)
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